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Special Thanks. [参考資料一覧]

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 このブログをまとめるにあたって参考にさせて頂いた書物は下記の通りです。古い書籍が多いので、AmzonやTSUTAYA、楽天市場などで検索しても、絶版などで見つからないかも知れません。
 なお、映画史そのもの、人名、技術に関する事柄、専門用語などは、一通りWikipediaとも対照し、確認しました、その他、個人サイトの映画史関連記事によるところも極めて大きいものがありました。ここにお礼申し上げます。
 最後に、採録した動画リストを添付しました。ほとんどは1980年代に録画したビデオによるものですが、最近はYOUtubeに初期の映画フィルムがアップされるようになりましたので、利用させていただきました。動画提供者のみなさまにも感謝申し上げます。


◆参考資料リスト(順不同)

●「世界映画全史」①~⑤ ジョルジュ・サドゥール 図書刊行会 1992

●「映画の教科書」ジェイムズ・モナコ フィルムアート 1983 

●「映画の天地左右」篠塚源蔵 ブロンズ社 1979

●「改定 現代映画辞典」美術出版社 1973

●「イメージフォーラム 100号記念特別号」ダゲレオ出版 1988

●「魔術師メリエス」古賀太訳 フィルムアート 1994

●「魔術師と映画」エリック・バーナウ 山本浩訳 ありな書房 1987

●「パリ,シネマ」梅本洋一訳 フィルムアート 1989

●「エジソンに消された男」鈴木圭介訳 筑摩書房 1992

●「サーカスが来た!アメリカ大衆文化覚書」亀井俊介 岩波書店 1992

●「欧米映画史 上」南部圭之助他 東京ブック 1969

●「ドキュメント昭和 4NHK取材班編 角川書店 1986

●「サイレント・コメディ全史」喜劇映画研究会編 1992

●「ジオラマ論」伊藤俊治 リブロポート 1986

●「江戸東京学辞典」三省堂 1987

●「情報の歴史」編集工学研究所 1990

●「シネマ100年技術物語」日本映画機械工業会 1995
● 
「20世紀全記録」講談社 1987

●「20世紀 激動の記録」リーダーズ・ダイジェスト 1977

●「20世紀フォトドキュメント 9 芸術」ぎょうせい 1992

●「20世紀の歴史 10 大衆文化」川本三郎監修 平凡社 1991

●「日本映画史大鑑」松浦孝三編 文化出版局 1982

●「発明の歴史」リチャード・プラット 学研 
● 「光芒の1920年代」朝日新聞社 1983
● 「映画誕生100年物語」共同通信社 1995
● 「new FLIX」 ビクターブックス/ビクター音楽産業 1991
● 「グループの社会史4 映画のタイクーン」みすず書房 1972
● 「ハリウッド・バビロン Ⅰ Ⅱ」ケネス・アンガー リブロポート 1989
●「FILM an  International  History  of  The  Medium」 

●「CINEMAEYEWITNESS  GUIDES

●「VICTORIAN  INVENTIONS1977
●  「映画で歩くニューヨーク」朝日出版社 1990

インターネット(順不同)
●Wikipedia
●写真の歴史
●カメラの歴史
●映画の歴史
●映画の発明
●キネトスコープ
●映画中毒者の映画の歴史
●サイレント黄金時代
●社会学しよう!
●発明王エジソン
●われら六稜人 偉大なる祖父の存在
●ニュース・ダイジェスト リュミエール家の軌跡をたどる
●博覧会 近代技術の展示場
●映画の出現が意味するもの 小松弘
●先端技術館tepia

◆採録動画リスト(掲載順)
●003 029 「Kiss」1896
●003  「花嫁の初夜」1900
●004 「歩くイノシシ」自家製
●012 ジョセフ・プラトーの「フェナキストスコープ」
●013 ウィリアム・ホーナーの「ゾートロープ」
●014 エミール・レイノウの「テアトル・オブティーク(光の劇場)」
●014 同上「哀れなピエロ」1892 YOUtubeより
●019 マイブリッジの「ギャロップ」
●020 マレーの写真中で撮影された「カモメ」
●022  ル・プランス撮影による「ラウンドヘイの庭」「リーズ橋」 YOUtubeより
●025 「エディスンの光学蓄音器」
●028 キネトスコープ「くしゃみの記録」1892
●030  ディクスンによるキネトフォンのテスト
●031 スクラダノㇷスキーの「ビオスコープ」1895
●032 「リュミエール兄弟による「シネマトグラフの機構」
●033  シネマトグラフ「工場の出口」「列車の到「港の出口」「エカルテ遊び」
●035 「ディクスンの挨拶」1889
●036 「ミュートスコープ」
●037 手彩色カラーアナベルのバタフライダンス」
●038 リュミエール社による「移動撮影」
●038 「スコットランド女王メアリの処刑」1895
●038  「ロベスピエールの死」1897
●039 ジョルジュ・メリエス「
ロベールウーダン劇場における夫人の雲隠れ」1896
●040  同「蛹と黄金の蝶」1900
●040 同「悪魔の下宿人」1909
●041  同「現代の魔術師」1898
●041  同「ゴム頭の男」1902
●042  リュミエール社「自動車競走」1896
●042  メリエス「ドレフュス事件」1899 YOUtubeより
●042  メリエス「シンデレラ」1899 YOUtubeより
●047 リュミエール社による 「1900年パリ万国博覧会」記録
●050 メリエス「月世界旅行」1902 カラー版
●051  「ビッグ・スワロー(大呑み)」
●051 「中国における伝道会襲撃」
●052 「ライト兄弟のフライト」1902
●052  「あるアメリカ消防夫の生活」YOUtubeより
●054 「大列車強盗」1903 YOUtubeより
●056 「ローヴァーに救われて」1905 YOUtubeより
●057  「ピアノ運び」1906 
●057  「かぼちゃ競争」1907
●057  「スカイシップ」1906
●058 「お化けホテル(幽霊ホテル)」1907 YOUTubeより
●058 「たばこの妖精」1909
●058 ウィンザー・マッケイ「恐竜ガーティ」1909
●058 ウォルト・ディズニー「砂漠は生きている」1953
●059 パテ・フレール社のキリスト受難劇 1907
●059 二原色カラー映画「ダグラスの海賊」1926
●059 ウォルト・ディズニー テクニカラー「花と木」1932
●060 初のトーキー映画「ジャズシンガー」1927
●062 「ブロンコビリー」1907
●062 「ギーズ公の暗殺」1908
●065 「鷲の巣から救われて」
●066 D・W・グリフィス「カーテンレール」1909
●066 同 「見えざる敵」1912
●069 同 「戦い」911
●069 メリエス「極地征服」1912
●070 「オデュッセイア」1911 YOUtubeより
●070 「トロイの陥落」1910
●070 「クオ・ヴァディス」1912
●071 グリフィス「ベッスリアの女王」1913
●071 「ポンペイ最後の日」1913
●072 「カビリア」1914 (抜粋) /フル・レングス「カビリア「」YOUtubeより
●075 グリフィス「国民の創生」1915(抜粋)/フル・レングス「国民の創生」YOUtubeより
●076 グリフィス「イントレランス」1915

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★もし、あなたがウォルト・ディズニーについてご興味がおありでしたら、
  別ブログにシリーズを掲載しております。
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079 遥かなり。タイムマシン。 [まとめ 虚像から実像への希求]

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●あなたもスクリーンの中へ、と誘う「大列車強盗」1903 の悪漢。


まとめ、あるいは・・・遥かなり、タイムマシン。

「歴史を学ぶ」とは、過去の経緯を展望・分析することにより現在の立ち位置を把握し、未来を予測することだといわれます。

「人はなぜ、このようなもの(映画)を考え出したのだろう」。
時系列的ではあっても体系的ではなく、作家論でも作品論でもない。映画史
に対する私が幼児期に抱いた極めて初歩的な疑問に端を発したこのブログの展開は、ご覧いただいた映画前史から映画誕生に至る技術史的物語の中で完結しました。

誤解を恐れずに結論を極言すれば、人は太古、影という〈分身〉を認識したとき以来、無意識のうちにその分身を、言葉通り血肉を備えた身代わり〈コピー人間〉として実在させたいと考えたのではないか、ということです。それは、人の生命が無限ではないという認識と無関係ではありません。


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●バーチャルはまず奥行き(3D)を得るところから始まった。19世紀初め吏家族写真

19世紀後半に写真技術が開発されると、洋の東西を問わず、研究者はこぞってまず立体写真を考え、次に動く写真を生み出しました。

写真が動けばすぐにそれを着色し、更に声を付けようと考えました。そしてそれらは極めて当然のことのように行われたのでした。それは、よりリアルな、人のコピーをと願う行為でなくて何でしょう。

 更にこの動きが世界共通であることを考えると、人々が無意識に映画に求める〈分身の創出=虚像の実像化〉は、人間の本性に根差した根源的な願望であると言い換えることはできないでしょうか。
 
あのトーマス・エディスンでさえ、晩年は霊魂の研究に打ち込み、自分の発明であるフォノグラフ(蓄音器)とヴァイタスコープ(映写機)を用いた死者の復活(もちろん疑似的な)を、真摯に研究していたといわれます。

 20世紀は、歴史上初めて「動く写真」で記録された時代といわれる通り、映画の技術が加速度的に進んだ時代でした。カラー映画が実現すると、人物以外にその自然環境や社会環境、そこで発生する出来事をもリアルに描くためにワイドスクリーンが開発されました。そして、その延長線上にコンピュータが加わり、CGによる現実感、存在感が飛躍的に高まりました。

21世紀の現在は、更に進化した3DCGにより、情景などの環境描写はもとより、人物の実在感が最高レベルに達するに至りました。


 このように「映画」は、最先端のテクノロジーと芸術が融合した稀有なメディアというに留まらず、環境ぐるみでの人の状況のコピーも不可能ではない、極めて精細な描写力を持つようになりました。
これまで「疑似体験」と呼ばれてきたことが、驚異的なビジュアルの進化により、より実体験に近いものへと高まっていることは、最近の宇宙映画やアクション映画などに強く感じられるところです。

こうした過程を展望すると、映画は誕生した時点から、人の環境をも含めた現実の時空間の複製(コピー)を目指しているのだと解釈したくなるのは間違いでしょうか。それこそが、時空間を自在に超越可能なタイムマシン実現に向けての大前提になるはずなのです。
 つまり、ここで言うタイムマシンのイメージは、超高度な先端技術によって人工的に構築された、現在~過去~未来に及ぶ幾多の
情景のコピー環境を言い、人々は体感したい情景をセレクトしてその時空間を現実そのままの臨場感で疑似体験するという手法であり、通常、SF小説やSF映画で示されるイメージとは異なります。

 映画は疑似体験であるといわれるように、どんなに危険な状況下でも、安全に安心して観ていられるという特質があります。これは、映画はシミュレーションであるということに他なりません。
 それはパニック映画やアクション映画に限らず、恋愛映画においても、男女が置かれた環境によってどのように対応し反応するかというシミュレーションと見ることができます。
 迫真力を増大させたこれからの映画は、人物・環境ともに、描かれた情景・状況をあたかも現実そのもののように立体化し、これまで観客(客体)として観覧するだけだった私たちをその情景の中に誘い込み、物語を体験する人物そのもの(主体)として実際に受け入れる環境を備えようとしているのです。


タイムマシンの実現には、解決しなければならない課題がいくつも横たわっています。「五感」…つまり、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚のうち、映画は未だに視聴覚と呼ばれる二つの分野しかクリアしていません。
 
つまり、現時点の映画は、「タイムマシン創世」とブログタイトルに示した通り、現在は蠢動期に他ならないのです。映画は誕生以来120年を経て、ようやくタイムマシン開発の緒についたにすぎないのです。


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●最大級スクリーンで臨場感No.1
を誇るIMAXによる「ハッブル3D」2010

タイムマシンで必要とされる環境がバーチャル・リアリティ(疑似体験環境)です。その研究開発も多方面で進められています。バーチャルとは、「虚像の限りない実像化」です。自分自身がヒーローとなってアバター(分身)を意のままに操り、バーチャルな世界で活躍できるゲームの世界や、テーマパークにおける種々の体験型ライドがその先鞭を切りました。

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●バーチャルの世界を分かりやすく示してくれた「アバター」2009

最近では4DXの名で登場した新しい体感シアターも一翼を担っています。4DXシステムの映画館では映画のシーンに連動して座席が揺れ動くだけでなく、霧や雨が降り注ぎ、花の香りまで漂ってきます。これらの試みはすべて、将来的にタイムマシンにつながるものです。


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●フロリダ「EPCOT」にある唯一の完璧なオーディオ・アニマトロ二クスといわれるリンカーン像 1982

ウォルト・ディズニーは、自分が生み出した虚像であるフィルム上のキャラクターたちを、実在感のある立体像にしたかったはずです。でも、時代はそこまで到達していなかった。結果的に着ぐるみは当たりましたが、本当の狙いを見せたかった。そこで、ファクトリーオートメーションとして工場に導入され始めたばかりのコンピュータを使って、自らオーディオ・アニマトロ二クスと命名した極めて精巧なリンカーン大統領の〈分身〉を作り上げたのでした。
 
現在存命なら、最先端の技術を生かして「カリブの海賊」や「インディー・ジョーンズ・アドベンチャー」、そして最新作映画「トゥモロー・ランド」をバーチャルリアリティ・シアターとして作り変えるかもしれません。

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このようにタイムマシンを前提とするバーチャルな映像空間を考えると、「観客」という概念も変わってくるのではないでしょうか。


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●どんなに危険がリアルでも、安全であることは守られなければならない。「エクソダス」2014


 ここで、このブログの最初の写真を思い出していただきたいのです。それはエディスン社製作による「大列車強盗」のラストに付けられたおまけのカット。列車強盗の首領が、こともあろうに観客に向かって拳銃を発射するあのカットです。
 当時の観客の度肝を抜いたあの驚愕のカットは、実は「観客」が「観客」でない立場に急に置かれた、まさに「主客転倒」によるとまどいだったのです。

このカットは実は、虚像である強盗が、実像である観客をスクリーンの中に誘っているのです。「そんなとこに座ってないで、スクリーンのこっちに来てみろよ。もっとすごい世界が待ってるぜ!」。これこそバーチャル・リアリティであり、時空間を飛躍するタイムマシンの入り口なのではないでしょうか。
 映画誕生後即座にこのような表現が発想されたことの驚き。というより、その発想が当たり前のように行われたという虚構と現実の近似性に〈コピーの世界〉への大きな可能性を感じると同時に、「そんなことが体験できる日が来るのを待ってるよ」との激励を受けているような気がするのです。


 これまでは、「この10年ですごい進歩だね」と、往々にして10年ひと昔の単位で技術革新が語られてきました。けれども映画はおよそ100年でタイムマシンの緒についたばかり。映画がどこへ向かおうとしているかを掴むには、100年を単位に展望することが必要かもしれません。このブログが太古から物語を始め、18世紀、19世紀、20世紀と話を進めてきた理由はそこにあります。

 この先は映画だけでは実現不可能です。他の分野と提携したり、新しい技術をどんどん取り込んでいく必要があります。「映画」という狭いイメージではなく、「映像」という広い概念のもとに、当分はコンピュータによるデジタル技術を基軸に(将来はさらに進化した技術が生まれるでしょう)、人工知能、ロボット工学、バイオテクノロジーなど、総合的な科学技術の極めて高度な融合を待たなければなりません。

  映画誕
生から一っ跳びに未来の話に飛んでしまいましたが、次の100年は、虚像であることを忘れてしまいそうに本物そっくりな女性の手を取って、その手が温かいか冷たいかを知り、着衣の素材も感じられる〈触感〉を持つ映像の時代へ向かうでしょう。

 いつの時代においても、常に時代
の最先端技術を取り込んで発達してきた映像の世界ですが、〈分身の創出=虚像の実像化〉は更にその先。そしてタイムマシンは更に、その遥か彼方にあると思われます。


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●「華麗なるギャッツビー」2013 の邸宅へ、どなたもどうぞ。



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078 手回し映画は、次の世代に託された。 [手回し映画時代の終焉]

078  手回し映画は、次の世代へ託された。
         ハリウッド主導の映画の時代へ

グロリア・スワンソン.JPGグロリア・スワンソン.JPG
●グロリア・スワンソン サイレント時代の彼女は知らないが、1920年代の映画界の裏側を描いた「サンセット大通り」(1950)は超おすすめ。
1950 サンセット大通り.JPG●ラストの鬼気迫る演技は圧巻

 第一次世界大戦は、民主主義を守るという名目で最後にアメリカが参戦したことで1918年11月11日、一挙に終結。けれども、映画先進国だったフランス、イタリア、イギリスを初めとするヨーロッパ各国の映画産業は戦争で衰え、唯一ハリウッドだけが急速成長を遂げていました。
 1920年代、映画は手回し・サイレントの時代からようやく電動式・トーキーの時代へと進むことになり、映画創生期のお話はここに終わりを告げます。

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●120mフィルム使用の電動式撮影機 サイレントだから1秒16コマ 1巻約8分


●廃墟として残った破天荒の城壁
 「ローリング・トゥエンティ」と呼ばれるハリウッドの黄金時代が幕を開けても、サンセット・ブールバード(大通り)脇の草むした広大な広場には、まだあの古代バビロンの幻「イントレランス」(1916)の大城砦が廃墟の姿でそびえ立っていました。

 D・W・グリフィスは、誰もが思いつかなかった4つ時代の物語が時空間を超越して並行進行するという、現在の言葉でいえば奇想天外な「パラレル・ワールド」的着想と、誰もがなし得なかった前代未聞のスケールを持つ「イントレランス」に、"これぞ、映画
"、という絶対の自信を持っていたはずです。

 そしてそれこそ、映画が絵画や写真とは決定的に異なる、時空間超越のタイムマシンの原型であり、例えそれが興行という面で失敗作とされたとしても、芸術としての「イントレランス」の評価は揺るぎないものであるということも。 

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●「イントレランス」のオープンセットは1925年頃まで残されたままだった。

 今ここに、崩れかけても未だ威容を誇るそのセットを感慨深げに眺めている青年は、ウォルト・ディズニー、22才。
 3年前、1920年に始めたばかりのアニメーションの事業に失敗し、ハリウッドに活路を求めて兄と2人で故郷カンザスシティから鞄一つで出てきたばかりでした。

 映画監督になりたくて、ラ・ブレア通りに面したチャップリンのスタジオの前を行ったり来たり。思い切って「ユニバーサル」社のスタジオに乗り込んだのですが、「監督は間に合ってるよ」と断られ、「パラマウント」で最初の「十戒」(1923)を撮っていた大監督セシル・B・デミルのコンテを書いたりしているのでした。
ディズニーはこの3年後にユニバーサル映画のカール・レムリを紹介され、「しあわせうさぎのオズワルド」シリーズを作るようになります)

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●セシル・B・デミル               ●カール・レムリ
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●「しあわせうさぎのオズワルド」とウォルト・ディズニー

 「イントレランス」の廃墟は、映画が手回し・サイレント時代の終わりを告げる象徴とも言えるものでした。映画の基礎を築いた世代が、次の世代にバトンを渡そうとしています。 
 そこにはすでに、ディズニーのように新時代を切り拓く映画の申し子のような才能が集まり、世界一の映画産業の舞台となったハリウッドの空気を高揚させていました。
 特に戦後、ヨーロッパから優秀な監督や魅惑的な女優がたくさん流入したことも、ハリウッドの振興に大きく寄与することになります。第一次世界大戦中には、ようやく望遠レンズを使えるレンズ交換式の撮影機も登場しました。


●今日のメジャー映画会社は、1920年代に揃い踏み
 D・W・グリフィスは1915年の「国民の創生」(1915)と1916年「イントレランス」(1916)の2作で現代に通じる映画の文法を生み出したことで<映画の父>と讃えられ、世界映画史にその名を刻みました。

 
1919年にグリフィスは、自分が見出した女優メアリー・ピックフォードとチャールズ・チャップリン、ダグラス・フェアバンクスと4人で映画会社を創立します。それが「ユナイテッド・アーチスツ」です。

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●D・W・グリフィスと「ユナイテッド・アーチスツ」の創設者たち 1919  

 これでハリウッドには、すでに最古参のカール・レムリの「ユニヴァーサル」をはじめ「MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)」「20世紀フォックス」「パラマウント」「コロンビア」「ワーナーブラザース」といった今日につながるメジャー会社が揃いました。 

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CKOO.jpgなちちち.jpg

WBB.jpgRKO.jpg 
●右下/一時ディズニー映画を配給したこともあるハワード・ヒューズ(映画「アビエーター」1904 のモデル)のRKOだけは現在消滅している。
 

●映画は次の世代に受け継がれた
 
 このあと映画は、D・W・グリフィスが生み出した映画技法を「映画の文法」として理論的にまとめ実践したセルゲイ・エイゼンシュテイン、フセボロド・プドフキンといった人たちに受け継がれます。

 ルイス・ブニュエル、フリードリッヒ・ムルナウ、ジャン・コクトーといった人たちは、映画の可能性を広げる実験的な作品づくりを進めます。
 文芸のジャンルではロベルト・ヴィーネ、フリッツ・ラング、アベル・ガンス、といった監督たち。また、ロバート・フラハティなど、記録映画にも名作が現れてきます。
 一方で映画は娯楽の頂点に上り詰め、楽しさを創造する監督や俳優たちに引き継がれます。

 創造性と芸術面を支える技術的進化も著しく、
1927年以降トーキー時代へ。1935年以降はカラー、1953年以降ワイドスクリーン、ステレオ音響の時代へと発展して、今やすべてがコンピュータ仕様、映像はCG全盛の時代へと至った訳です。

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●「映画前史~映画誕生」を終えるにあたって
 この「タイムマシン創世記」は、古代から書き起し、「映画前史」「映画誕生」「映画創生期」と3期にわたってサイレント映画時代の終わりまで、ほぼ80回の連載となりました。
 みなさんもご存知のチャールズ・チャップリン、ウォルト・ディズニーが登場したところまで、ようやくつなげることができました。(と言ってもまだ私自身生まれていない
1920年代ですが)


 では、なぜこのブログを終えるのか。ここでその疑問に答えておかなければなりません。
 ここまでのお話でみなさんは、映画は写真が動いたとたんに、どの開発者も例外なく「色彩」と「音声」に思い及び、さらにはすぐに「立体」効果をも考えた、ということを思い起こしていただきたいと思います。

 実はこのような映画は、ヨーロッパでもアメリカでも、映画誕生直後からそれぞれの研究者によって「総合映画」「完全映画」としてイメージされていたのです。

 とすれば、現在の映画は、技術的には全くその延長線上にあるにすぎないのです。つまり、今日の映像技術は、ある意味で、120年前に思い描かれた究極ともいえる映画のイメージを、現時点の最先端技術でスケールアップしてきたにすぎないということが分かります。

 従って、私が語りたいのは〈人はなぜ、このようなものを考え出したのか〉ということですから、ここまでご覧いただければ、この後のトーキーの誕生、総天然色カラー時代、ワイドスクリーン登場、3D映画出現と続く映画技術史を、いちいち詳細に追いかける必要はないということがお分かり頂けると思います。

  

 ところで通常の映画史は、人物あるいは技術を単位に語られることが多く、それは知識の取得としてはいちばん簡潔で分かりやすいのですが、では、いろいろな人物がどのように絡み、技術が相互の関係の中でどのように発展していったのかという全体の動向を同時代の流れとしてとらえたいと思うと、それではなかなか把握しにくいのでした。
 私の興味は、時代のタイムラインをベースに、研究者や技術がどのように絡み合ったのかを知りたかったのです。人物同士の交流や技術情報の伝播は、研究開発とは決して無縁なものではないと思ったからです。

 例えば、リュミエール兄弟やトーマス・エディスンが映画の研究に乗り出そうとしたとき、他の研究者はどこまで進んでいたのか、とか、ジョルジュ・メリエスとシャルル・パテはどのような立場と関係だったのか、とか、いう具合です。
 このような視点をこのブログに持たせたかったため、「創世記」という物語形式をとってみたのですが、成功したとは言えず、同一人物が何回かの記事に分かれたりして、かえって複雑になってしまった感があり、反省しきりです。
 その代り、書物なら何度も巻頭の登場人物紹介をめくり直さなければならないところを、1回単位でご覧いただいても
人物や技術が分かるように、写真のフォローには気を使いました。その分、継続してご覧いただいている読者には、うっとおしく感じられたかもしれません。

 とにかく、資料を繰りながら感じたことは、第七芸術と呼ばれる映画というメディアの奥の深さです。それは映画が創造や表現という感性の世界だからだと思います。またクロスオーバーする技術の発展経緯、人間関係の興味もありました。
 この映画前史から映画誕生までの物語は、初めは仕事に関連して、その後は自分自身の生涯学習として始めたものですが、ご愛読頂いたみなさんのおかげで、当初から予定していた着地点を迎えることが出来ました。本当にありがとうございました。



これまでに採り上げた主な人物は下記の通りです。
  左袖の「記事検索」欄に下の氏名をコピーし、リターンキーを押すと関連記事が提示されます。

◎映画の機械的な基礎部分を作り上げた人たち
エドワード・マイブリッジ、エチエンヌ・マレー、オーギュスタン・ル・プランス、フリーズ・グリーン、エミール・レイノウ、ジョージ・イーストマン、ウッドヴィル・レイサム、
トーマス・アーマット、チャールズ・ジェンキンス、リュミエール兄弟

 
◎映画の表現手法の基礎を見出した人たち
ウィリアム・ディクスン、リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエス、アリス・ギイ、エミール・コール、エドウィン・ポーター、D・
W・グリフィス、トーマス・インス

◎映画を事業として拡大した人たち
トーマス・エディスン、ロバート・ポール、シャルル・パテ、レオン・ゴーモン、カール・レムリ

◎初期のムービー・スター
ブロンコ・ビリー・アンダースン、フローレンス・ローレンス、メアリー・ピックフォード、リリアン・ギッシュ、メエ・マーシュ、マック・セネット、ウィリアム・S・ハート、チャールズ・チャップリン、


ウォルト・ディズニーについては、別ブログにシリーズを掲載。
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077 10年残った、夢の跡  「イントレランス」② [大作時代到来]

077 10年残った、夢の跡
    
D・W・グリフィス「イントレランス」②

コンスタンス・タルマッジ.JPG
●コンスタンス・タルマッジ

前回からの続きです。

●豪華絢爛。本格的ピクチャー・パレス時代到来
 「イントレランス」D・W・グリフィスお抱えのリリアン・ギッシュ、メイ・マーシュ、フレッド・ターナー、リリアン・ラングドン、コンスタンス・タルマッジ、そして2年後の1918年にターザン映画第1作「猿人ターザン」で売り出すことになるエルモ・リンカンなど、売れっ子俳優によるオールスターキャストで製作費は190万ドルという超豪華大作でした。
 
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●「イントレランス」 ドイツのポスター           

P1060371.JPG エルモ・リンカン.JPG
●ターザン映画第一作「猿人ターザン」1918 と主役のエルモ・リンカン
  
 製作に丸2年を擁し、撮影されたフィルムは10万メートル。グリフィスははじめ8時間の映画にする構想でしたが、さすがに会社や映画館側は反対。結局半分以下の3時間半に短縮されて、1916年9月、前作「国民の創生」を初公開したと同じニューヨーク/ブロードウェイの「リバティ劇場」で公開されました。

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IMGP8874.JPG1910年代半ばの映画館.jpg
●1915年以降1920年代 ピクチャー・パレスのイメージ

 残念ながら手元に「リバティ劇場」のデータがないのですが、大作映画時代を背景に出現した当時の映画館とは、どんなものだったのでしょうか。それはピクチャー・パレスの呼び名通り、豪華絢爛の映画宮殿。その先鞭をつけたのは、ミッチェル・マークでした。

 
1914年4月、ニューヨーク/ブロードウェイにオープンした「ストランド劇場」は、円形の2階建て、約3,000席。金ぴかのデコレーション、きらめくシャンデリアの下、ガイドに導かれふかふか絨毯を踏んで座席に座ると、ステージ手前に30人程のオーケストラボックスと巨大なワーリッツァー・オルガン。見上げると両袖には賓客の座るバルコニー席があります。入場料は25セントとニッケル・オデオンの5倍もしますが、そこは非日常の世界、まさに<夢の宮殿>の内部です。

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●映画館王「ロキシー」とワーリッツァー・オルガン

 ついでながら映画館の歴史上のヒーローは、“ロキシー”ことサミュエル・L・ロサフェルです。彼は1913年までに「アルハンブラ劇場」、「リージェント劇場」といった著名な劇場を建て直し、1914年から1920年にかけて上記「ストランド劇場」も含めて「リアルト」、「リヴォリ」、「キャピタル」といった大劇場を吸収し、ついには自分の名を冠した「ロキシー劇場」を造り、劇場王の名をほしいままにします。「ロキシー劇場」は大理石を使ったロココ調のデザイン、客席は6,200、オーケストラは110人編成というけた外れのものでした。

 このように大規模なピクチャー・パレスの建設は、イタリアの歴史劇の成功やグリフィスの大作によって加速されるのですが、このようにして映画は芸術性と娯楽性を適度に融合させて、
1920年代には全米で第4位の産業にのし上がるのです。
 1895年に誕生した「映画」。そのわずか20年後のこの姿を、誰が予想できたでしょうか。


●商業映画はやっぱり、内容よりも興行収入

 それはともかくD・W・グリフィスの偉大なる実験作「イントレランス」は、このような大劇場で公開されました。「古代・バビロ二ア編」ではオーケストラによるサンサーンス作曲のオペラ「サムソンとデリラ」の演奏が観客の心を揺さぶりました
前回の動画参照)。
 ところが興行的には前作の「国民の創生」を越えるどころか、大変な赤字を出してしまったのです。

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●D・W・グリフィス           ●「イントレランス」バビロンの一場面

 その理由として、元々8時間の内容を半分以下に切り詰めたために、すばやい場面転換に慣れていない観客が戸惑ってしまったこと。4つの物語が時代を越えて交錯するという構成が斬新過ぎて、観客が理解しにくい作品だったこと。キリスト受難のエピソード以外はアメリカ人になじみの薄い国の話であったこと。主な輸出先のヨーロッパは大戦中で映画どころではなかったこと。更に、戦争を<不寛容>のひとつとしたことが、第一次大戦に参戦直前の国民意識を逆なでしたこと。などが挙げられています。

 「イントレランス」の興行的敗北は、いかに芸術的色彩が濃くても、商業映画は作品内容よりも興行収入によって評価されるものであることを明白にしました。資本主義の国アメリカは、映画製作に対しても銀行や民間企業から投資の形で資金供給を受ける訳ですから、それ以上の利益を確保できなかったトライアングル社は致命的な打撃を受け、グリフィス自身も巨額の負債を負うことになりました。

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●「イントレランス」、バビロンの城砦の巨大なオープンセット

 こうして幻の栄華を誇ったバビロニア宮殿の大オープンセットは取り壊す費用もままならず、草むしたままサンセット・ブールバードの土ぼこりにまみれて10年以上も放置されることになるのです。


●エディスン・トラスト(
MPPC)の瓦解
 いずれにしても1910年から1920年にかけて、インディペンデント(独立経営映画会社)の1時間を越える長編映画が主力になると、全米に客席1,000を越える本格的な映画館が急激に増加しました。豪華に飾られたピクチャー・パレスの時代が到来したのです。
 反対に、エディスン・トラストと呼ばれる映画特許会社(MPPC)系列で製作される短編映画の上映館ニッケル・オデオンは目に見えて廃れていきました。

エジソン.jpeg●映画特許会社の総帥 トーマス・A・エディスン

 弱り目に祟り目のエディスン・トラストの衰退に追い討ちをかけたのが、第一次世界大戦を挟んで続いたシャーマン・トラスト禁止法に基づく反トラスト訴訟の結果でした。映画特許会社(MPPC)は1911年に反トラスト法違反の告発を受けていたのですが、1917年にエディスン・トラストは違法であるという判決が降りたのです。けれどもそのころまでにはすでにほとんどの加盟会社が手を引いて意味を成さなくなっていたのです。

 短編に限定して長編を作らせなかったエディスン・トラストは、そのカセを嫌った加盟会社が別会社で長編を作ることを促進させ、それがエディスン・トラストを追い詰めるという自己矛盾をはらんでいたのでした。

 こうして映画特許会社(
MPPC)は瓦解。最初は特許違反を訴える側で10年。後半は訴えられた側で7年。ここに17年にも及ぶエディスン社の特許戦争はようやく収束したのでした。最後まで残っていたのはバイタグラフ社1社でしたが、それも1912年に設立された「ワーナー・ブラザース」に吸収されてしまいます。 

つづく



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076 タイムマシン発進! 「イントレランス」① [大作時代到来]

076 タイムマシンの始祖、グリフィス。
      D・W・グリフィス「イントレランス」―①

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●グリフィスのタイムマシンが、観客を紀元前539年のバビロンにいざなう。

 1915年、第一次世界大戦のさなか。中立を保っていたアメリカでD・W・グリフィスが発表した長編大作「国民の創生」は大当たりをとりました。グリフィスはその莫大な利益と個人資産のほとんどを次の作品につぎ込み、翌1916年、前作を上回るスケールで「イントレランス」を完成させました。

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●「イントレランス」はタイムマシンの壮大な実験作
 D・W・グリフィスは前作「国民の創生」を製作する過程で、映画の特性とはまさしく時間と空間の飛躍にあることをはっきり意識したと思われます。「イントレランス」は「国民の創生」を超えようとして、考えられる限りの映画技法を駆使して作られた<時空超越・瞬間移動>の実験作だったように思われます。

グリフィ ス.jpgD・W・グリフィス

 映画ではひとつのカットはリアルタイムで進行しますが、次のカットとの間には時間が省略されます。この飛躍が実は1ヶ月間の世界一周旅行を1時間で見せる事を可能にします。また東京からパリでもロンドンでも世界中のあらゆる場所へ、カットをつなぐだけでどこへでも即座に移動できるばかりでなく、現代から未来へも過去へも瞬時に移動することができるのです。
 タイムトンネルやタイムマシンは決してSFの世界ではなく、100年以上も前に開発された映画こそが、実は時間と空間を自在に往来できるタイムマシンなのではないか。グリフィスの「イントレランス」は、それを実証しようとした実験映画のように見える作品なのです。

 彼は「イントレランス」で、古代から現代まで、時代の異なる4つの物語を合体させた映画…つまり4本分の映画を1本の映画にしてしまったのです。


●4つの物語を1本に。その作劇法とは

 「イントレランス」とは<不寛容、狭量>と訳されますが、分かりやすく言えば<人間の心の狭さ>ということ。この映画でグリフィスは、宗教、政治、法律などに見受けられる不条理は、他を許容できない偏見によるものとして、そのために翻弄される人々の姿を時代を超越して描こうとしています。

 「イントレランス」は、無実の罪で死刑を宣告される貧しい青年を描いた「現代・アメリカ編」。
 欧米人にはなじみ深い宗教上の争い、聖バーソロミューの虐殺を描いた「中世・ヨーロッパ編」。
 最後の審判の結果、十字架に掛けられるキリストの受難を描いた「紀元発祥・ユダヤ編」。
 ペルシャ王サイラス軍の攻略によるバビロンの崩壊を描いた「紀元前・バビロニア編」。この4つの時代で構成されています。

 つまりこの映画は、紀元前539から映画が作られた1910年代までのおよそ2,450年間という膨大な時空間が封じ込めらたタイムカプセルであり、観客は映画館というタイムトンネルの中で、現在から過去へ、過去から現在へとグリフィスの意志に翻弄されながら時空間を彷徨することになるのです。
  

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●現代・アメリカ編

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●中世・ヨーロッパ編

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●紀元発祥・ユダヤ編

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●紀元前・バビロニア編

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●4つの時代の4つの物語を結ぶ、ゆりかごを揺らす母親の姿

 ここで注目したいのは、グリフィス自身が書いたシナリオのドラマツルギーです。4つの物語は「不寛容」というキーワードを共通項としながら、いわゆるオムニバス方式で一話ずつ順に展開するのではなく、4つの時代と場所…つまり4つの時間と空間が交互に入り混じって進行する形式です。

 とはいうものの、4つの時空間は全く脈絡なくつながれている訳ではなく、例えば「紀元発祥編」のキリストに対する審判のシーンの次に、無実の青年に死刑の判決が下される「現代編」の審判のシーンが続くという具合に、関連する事柄でシリトリのように場面を転換する「擬似転換」がすでに発想されていることに注目したいものです。

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 実際に「イントレランス」を細かく見ていくと、まず4つの時代の4本の作品が編集された後に、4本を1本に統合するために、全体の流れのタイミングを見計らって異なる時代へと交互に切りつなぐ編集がなされていることが分かります。
 また4つの時代が切り替わるときには、4話をつなぐブリッジとして、詩人ウォルト・ホイットマンの「ゆりかごは永遠に過去と未来を結ぶ」というフレーズに基づく、ゆりかごを揺らす母の姿が挿入されます。

 こうして4本の大河は、さながら4楽章の交響楽のように河口めざして次第に速度を増してクライマックスを迎え、どの時代にも共通する普遍的な平和への願いとして収束するのです。
 
時は第一次世界大戦のさなか。グリフィスは愚かな人間が繰り返してきた不寛容を描くことによって、大戦に向かおうとするアメリカに、平和への覚醒を促そうとしたのではないでしょうか。 


●紀元前・バビロニア編より ベルシャザール王宮のシーン
 平和な城砦が異民族の侵攻によってたちまち戦乱の巷と化す



●世界の映画界で、前代未聞のスケール
 
アメリカ映画史始まって以来の長編スペクタクル「イントレランス」でグリフィスが特に力を注いだのは、メソポタミアの栄華を誇るベルシャザール王宮のシーンでした。
 グリフィスのねらいは<歴史の再現>でした。それはとりもなおさず、時間と空間を超越できる映画の特性をもっとも顕著に示すことになるからです。グリフィスは古くは紀元前539年のバビロンの城塞都市の真っ只中に観客をいざなおうとしたのです。

  
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 当時はまだ未舗装の地方道サンセット・ブールバード(大通り)の脇に、高さ70メートルもの城壁のオープンセットが張り巡らされました。城壁の奥は人が豆粒程に見える空中庭園、そしてイタリア映画「カビリア」をしのぐ数頭の巨大な象の立像。城壁の幅は戦車が2両並んで通れる上に、兵士たちも往来できる余裕がありました。
 また城内の奥行きはなんと1,200メートルもあり、そこにはいろいろな民族や身分に扮した4,000人を超すエキストラがひしめいていました。

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●遠くからも望めたといわれる高さ70メートルの大城砦

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●監督するグリフィス(左)とカメラマン、ビリー・ビッツァー

 グリフィスはこの空前の作品を作るために監督と芸術顧問を4人従え、自らは総監督として当たりました。
 この壮大な景観を高所から俯瞰撮影するために、城壁に届きそうな高いやぐらが組まれました。グリフィスはまた、低所から高所への垂直移動撮影を行うために高さ
100フィートものエレベーター式カメラタワーを作るなど、空前絶後の手法が考えられました。もちろん世界初です。サンプル動画に見られる、スムースな上下移動撮影はこうして実現したのでした。

 撮影は名コンビのカメラマン、ビリー・ビッツァー。当時ムービーカメラは手回しから電動式に変わりつつありましたが、これだけのスケールの撮影に彼が使ったのは、120メートル(400フィート)フィルムを装填したパテ・フレール社製手回しカメラでした。 なお、このカメラは、同社が1910年にリュミエール社の特許を買い取って開発されたものです。


はじめて映画が自然の演技を身に付けた

 「イントレランス」では俳優の演技が、無声映画特有の大げさに誇張された動きから自然の動きへと移行していることも見逃せません。
 前作の「国民の創生」にもそのきざしは見られましたが、この2作における演出法は、映画の演技がようやく演劇の演技法を離れ、自然で自由な<映画の演技法>へと移行したとみていいでしょう。


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D・W・グリフィス監督
 
 それにしてもこれだけの広大な場所で、グリフィスはどのように撮影の指示を出していたのでしょうか。写真では超大型メガフォンを構えたD・W・グリフィス監督が写っていますが、それだけでは到底遠方に届くはずはなく、ところどころに伝令を配置しなければ指示を徹底させることはできなかったと思われます。誕生して間もない電信も使われたでしょう。エキストラの移動や整理のために鉄道を敷いたとか、気球に乗って上空から指揮を行ったという記述も残っています。 つづく

※映画やテレビコンサートなどの会場で撮影や照明のために組む高いやぐらを業界用語で「イントレ」と呼んでいますが、その語源がこの「イントレランス」です。


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