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071 クライマックスは天変地異で決まり。 [大作時代到来]

071 クライマックスは、天変地異で決まり。
        イタリア史劇とD・W・グリフィス-②

ブランチ・スィート「ベッスリアの女王」.JPG
●「ベッスリアの女王」の主役に大抜擢のブランチ・スイート

 
イタリア映画界が矢継ぎ早に打ち出す歴史大作路線の成功を耳にしながら、バイオグラフ社の監督D・W・グリフィスも{機は熟した}とばかりにいよいよ長編づくりに乗り出します。ここにイタリア対アメリカの長編映画戦争の火蓋が切って落とされたのです。


●グリフィスもスペクタクルは得意だった
 1913年7月、D・W・グリフィスは、コンビを組んでいるカメラマンのビリー・ビッツァーと長篇の歴史物にとりかかりました。
ベッスリアの女王(アッシリアの遠征)」4巻60分。

  新進女優ブランチ・スイートを起用したこの映画は、ベッスリア(アッシリア)を攻め落とそうとするホロフェルメスを愛してしまった女王の悲劇と城の攻防戦という大スペクタクルです。このテーマの設定自体、イタリア映画に対する挑戦と見ていいのではないでしょうか。

 この作品で
グリフィスは、スケールの大きさだけではなく、ベッスリアの女王の人間的な苦悩までをも描ききろうとしています。 

ベッスリア1.JPG
●イタリア映画の向こうを張ったアラビアンテイスト。 でも、どこかイタリア史劇に似た感じ
ベッスリア2.JPG
●城壁の攻防戦では1,000人以上のエキストラが参加
ベッスリア3.JPG
●戦車の走りや馬に飛び乗るスタントは、いかにも西部劇風
ベッスリア4.JPG

ベッスリア5.JPGベッスリア6.JPG
●酔わせてひとおもいに…でも、私にはできない。敵を愛してしまった女王の苦悩

 1分46秒
 
  戦車を引く数十頭の馬と1,000人以上のエキストラを使った城の包囲戦では、大勢のスタントマンが大活躍。西部劇も作っていたグリフィスの経験が、イタリア映画に勝るとも劣らないスケールで見事に発揮されています。

 
映画づくりもこれだけのスケールになると、映画製作の本筋の他に、大規模なセットや道具づくり、出演者とエキストラの衣装や武具、火薬などの準備が必要です。また人と馬の移動には輸送部隊を編成しなければなりません。更に、宿舎や食事の手配、事故や緊急の場合に備えての警備や救護まで必要としたはずです。
 総合芸術である映画は、このようにあらゆる分野にわたって需要や雇用を生み出し、産業としての基盤を確立していく訳ですが、一方で長編映画は自然発生的に映画づくりの体系化を促しました。


●「撮影」は「編集」を考慮して行うこと
 15分程度の短編なら、簡単なアイディアの覚書があれば作れないことはありません。実際に映画が誕生して数年間はそのようにして作られていたものでした。
 けれども1時間以上の物語を作るとなるとしっかりとしたプランが必要です。プランとは「何を、どのようにして、いつまでに、いくらで」・・・つまり予算枠内で予定通りの作品を期限までに仕上げるためのものですが、映画そのものをまとめ上げるプランも必要です。

 はじめはあらすじ(梗概)を書いた簡単な「脚本」があれば間に合っていました。中篇以上になると、それをどのように撮影していくかをカメラマンに指示する必要が生じました。その撮影プランを「撮影台本」の形でまとめたのは、トーマス・H・インスでした。

トーマス・H・インス.JPGトーマス・H・インス

  撮影台本とは脚本を元にカット割を考え、1カットごとの撮影要領を明記したものです。彼はカール・レムリのユニバーサル映画社の前身IMP社で働いていたのですが、編集の才覚に長けていました。そのため最初から<編集を前提とした撮影>を指示することができたのです。この認識があって初めて、画面サイズの異なる次のカットにまたがる俳優のアクションをスムースにつなげることができる訳です(アクションつなぎ)。

  ハリウッドでは早くから、シナリオを元に画面展開を絵に書いたコンテ(コンテ二ュイティ)と呼ぶものが撮影現場で使われていますが、インスの撮影台本にはすでにコンテが用いられていたのではないかと思われます。


IMGP8654.JPG●デビッド・W・グリフィス監督

 一方、グリフィスは、舞台と映画における演出の根本的な違いを考える中で、インスと同じことに気づいたようです。舞台の演出は主に俳優の演技に対するもの。映画ではそれ以上に画面上の見せ方が大事だと思い当たり、ひとつの場面(シーン)をいくつかの画面(カット)で構成することを考えました。

  つまり、一つの情景をロング、ミディアム、アップという異なるサイズのカットを効果的に組み合わせて時間の流れを作るようにしたのです。
(ちなみに、撮影することをシュート。撮影されたものをショット。ショットから編集段階で必要部分を切りだしたものをカットと呼びます)


●イタリアで、またまた話題作公開
 ところがバイオグラフ社はグリフィスの長編製作を好みませんでした。「長編は観客が飽きるから、やらない」という映画特許会社(MPPC)側の金科玉条に触れて、折角のグリフィスの長編「ベッスリアの女王」はお蔵入りになってしまったのです。グリフィスが落胆したことは言うまでもありません。

 折も折、イタリアではまた長編歴史劇の話題作が誕生しました。1913年、パスクァーリ社による「ポンペイ最後の日」は、マリオ・カゼリー二が監督した作品でした。

  これも時代はローマ時代。暴君によるキリスト教徒弾圧に対する天罰で、ベスヴィオ火山が火を噴きます。ポンペイは火山灰に埋もれて消滅してしまう訳ですが、映画では1908年に噴火したエトナ火山のニュースフィルムが効果的に使われ、大噴火のクライマックスを盛り上げています。

 この映画の成功で、スペクタクルを盛り上げる状況として、大地震、大洪水、大津波、大竜巻、大なだれ、山火事など、天変地異がよく使われるようになりました。


ポンペイ1.JPG
●イタリア映画お得意のモブ(群集)シーン エキストラ1000人以上
ポンペイ3.JPG ポンペイ4.JPGポンペイ2.JPG ポンペイ5.JPG
●神の怒りか、ベスヴィオ火山の大噴火が始まる
                   ポンペイ6.JPG
  2分53秒                                               


●こりなかったバイオグラフ社
 ところで「ベッスリアの女王」のお蔵入り。この出来事はグリフィスにバイオグラフ社を離れるきっかけを与えました。彼はイタリア映画の大作に対抗できる長編大作の構想を暖めながら、この年の末にバイオグラフ社を去ることになります。バイオグラフ社は、わずか2年後に新境地を拓くことになる将来のドル箱監督を、自ら手放してしまったのです。

 その後1914年に、バイオグラフ社はようやく「ベッスリアの女王」を公開しました。けれども、フランスでは怪盗ものの「ジゴマ」「ファントマ」シリーズが大流行し、自社でも大当たりをとっていた連続活劇の上映手法に倣い、全4巻を1巻ずつ週変わりで4回の連続物として配給するという愚行を、まだ繰り返しているのです。 
                              
つづく

★次回はイタリア史劇の最高峰とされる「カビリア」について。


★添付の動画は本来は無声映画です。
 音楽や効果音は、当時の公開状況を想定して後世に付けられたものです。








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