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008 「恐怖の館」へ ようこそ! [影を動かす試み]

008 亡霊が信じられていた時代の「恐怖の館」
それは「投影」から始まった-2
ファンタスマゴリーとファンタスマゴリア

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フランス革命を描いた絵画  ベルサイユ宮美術館蔵

   
前回の「カメラ・オブスキュラ」は外の景色を内側に投影して絵を描く装置でしたが、17世紀に入ると逆転の発想で、描いた絵を外に投影しようと考えた人が出てきました。それが前回の終わりに登場したドイツのアタナシウス・キルヒャーでした。

  
彼が1671年に発表した「マジック・ランタン」はいわば改良型というべきものでした。灯油ランプを光源として、ガラス板に描かれた絵をレンズを通して壁に映し出す仕組みは変わりませんでしたが、油の純度、ガラスの平面性、透明度、丈夫さなどの精度が向上していた上、それまで単コマだったものからガラス絵を8枚連ねて横にスライドさせる方式が考案されていました。つまり、物語性のある幻灯が誕生したのでした。

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●1671年の新型マジックランタンと発明者アタナシウス・キルヒャー

●恐怖の世界へようこそ
  
この、物語を語れる「マジックランタン」にヒントを得て、この投影装置の特長を最大限に発揮させたら、みんなをアッと言わせるほどすごいことができるぞ! そう読んで、「マジック・ランタン」を自分の事業に採り入れた人がおりました。実験家で芸人でもあり自ら興行師としても活動していたロバートソン(本名エチエンヌ・ガスパール・ロベール)というベルギー人です。

  彼の構想はなんと、何台もの「マジックランタン」を使って、いろいろな物にいろいろな角度から投影する、という破天荒で奇想天外なものでした。なんと柔軟な発想でしょう。
 当然スケールも大きくなり、操作は一人では無理で、複数の要員が必要だったでしょう。これは一つのイリュージョン・システムと呼べるものであり、
彼はこれを「ファンタスコープ」と呼んでいたようです。

  ロバートソンは、この「ファンタスコープ」を使い、光と影を巧みに利用した招霊術や怪奇な物語を作って「ファンタスマゴリー」…つまり「魔術幻灯」と銘打った見世物を始めたところ、これが千客万来の大当たり。
  自国での人気に自信を得た彼は、更なる成功を目指して構想を練り、胸に一物・手に荷物。満を持してその装置一式を携えて、勇躍パリにやってきます。時は1797年。
  パリの巷は、それより
8年前、1789年7月に起こったバスチーユ牢獄の占拠を端緒とするあの血塗られたフランス革命はいまだ終結を見ず、ナポレオンの登場によってようやく納まりかけている頃でした。

バスティーユ.jpg●左奥がバスチーユ牢獄

  
さて、フランス革命といえばルイ16世。ルイ16世といえばマリー・アントワネット。その二人が国外逃亡を図って捕らえられ、恐怖政治の象徴ともいうべき断頭台(ギロチン)の露と消えたのは1793年ですから、それからまだ4年しか経っていないというパリ。その地元でロバートソンは、フランス革命をテーマにした見世物を展開しようというのです。
  十分に計算され周到に演出されたロバートソンの「ファンタスマゴリー」は、凄惨な記憶もまだ覚めやらないパリ市民を、再び恐怖のどん底に陥れることになるのです。

ルイ16世-2.JPG マリー・アントワネット.JPG
●ルイ16世                ●王妃 マリー・アントワネット


●光と影、視覚と聴覚を揺るがす壮大なイリュージョン
  
ロバートソンの「ファンタスマゴリー」は、光と影の演出が巧みであったばかりでなく、現在のアトラクティブなイベントに欠かせない入場者を喜ばせるサービス精神、・・・彼の場合は恐怖に震え上がらせるための環境設定ですが、それが実に巧妙に織り込まれていたのでした。

  彼が目をつけた会場はうらさびれた修道院の聖堂でした。そこを借り切って行われた興行は多分夜だったはず。そこで彼が観客に見せたもの、それはフランス革命の立役者たちの悲劇と人間の命のはかなさでした。

  
フランス革命の経緯をパリ市民に改めて説く必要はありません。ロバートソンはストーリーを追って見せるのではなく、視覚とおそらく聴覚にも訴えかける一大スペクタクルショーに仕立て上げて展開して見せたのでした。

P1100337-3.JPG●どこかで見たような時代がかった墓地

●今はなじみのお化け屋敷も、当時の観客は大パニック
  
まず観客は、古い墓石をぬって続く細道を通って聖堂に導かれます。道はいつの間にか洞穴を通り、到着した大部屋にはランプの明かりに照らされたたくさんのどくろが・・・。

 
  不穏なドラムが鳴り響き、煙の柱が何本も吹き上がったかと思うと、赤い光が煙を染めて炎上のシーンです。観客はそれがまだ記憶に新しい革命の様子であることを思い起こします。突如ランプの明かりが消えて、あたりは真っ暗闇。ハッと思う間もなくいきなり正面の暗闇に浮き上がったのは、なんと、すでにこの世を去ったはずの皇帝ルイ
16世ではありませんか。続いて隣りに現れたのは、これも今は亡きマリー・アントワネットの姿。「おおっ」と思う間もなく、突如砲弾の炸裂音。すると観客席の両サイドに次々と浮かび上がったのは革命の指導者ダントン、マラー。対するはロベスピエール、そしてマラーを暗殺した女性コルデー。革命の立役者たちですが、共通していることは、最後はすべてギロチンにより非業の死を迎えたこと。

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●ロバートソンのファンタスマゴリー 1831年の「回想録」より

ロベスピエール.JPG処刑台に送られるダントンb.JPG
●ロベスピエール           ●ダントン

IMGP6848.JPG処刑執行人を処刑するロベスピエールP1100535.JPG
●左/マラーを暗殺したコルデー
 右/ギロチン(断頭台)で処刑執行人を処刑するロベスピエール

  重々しい
音楽の高まりと共に、1基、2基……観客の眼前に次々と大きくせり上がって来たのは陰惨な処刑の光景を思い起こさせるギロチンの影です。そのギロチンが落ちる大音響と共に目の前の人物が次々と消えたかと思うと、場内は再び真っ暗闇。と思ったら場内のあちこちでもくもくと立ち上る煙。観客が目を凝らすと、そこに現れたのは亡霊たちです。その中には共に亡霊となって空中をさ迷う6人の姿も。そして驚いたことに、その亡霊たちはあたかも霊界をさ迷うかのように、右に左に揺れているではありませんか。恐れおののきながら怖いもの見たさに目を凝らす観衆。その頭上に、なんと今度は亡霊たちが次々と覆いかぶさってきたのです。(講釈師、見てきたような嘘をつき)

 
 聖堂で演じられている上の絵は、のちの1831年にロバートソンが著した「回想録」に載っているものですが、観客の中には、恐怖の叫びを上げるもの、剣を抜いて果敢に亡霊に挑もうとするもの、悪魔を畏れてひざまずくものなど、「ファンタスマゴリー」の迫力に驚愕するパリ市民の姿が実に臨場感豊かに描かれております。多少の誇張はあるかもしれませんが、「ファンタスマゴリー」が娯楽の域を超えていたことは確かのようです。

IMGP6801d.JPG●観客驚愕の図
ファンタスマゴリー.JPG
●「金持ちも、どんなに偉い人間も、すべからく最後はこうなるのだ!」 おお、こわ!

  
そして最後に、ロバートソンが伝えたかったこのショーのテーマが、正面のステージに映し出されます。「私たちを待ち受けている逃れられない運命」、すなわち人間のなれの果ての姿……それを象徴するのは骸骨です。敵も味方も、大成した人物も、豪奢を極めた人物も、最後はすべからく骸骨と化して冥界をさ迷い続けるのである、という宗教観。ロバートソンはそれを、当時のニューメディアであった「マジック・ランタン」を駆使して、極めて具体的に説いて見せたのでした。

●ファンタスマゴリーは初期視覚トリックの集大成
  
「ファンタスマゴリー」はもうお見通しのように、紗のスクリーンや煙を場内のあちこちに設定して、複数の幻灯機を使って映写していました。ですから、順に登場させたり、いっせいに出現させたり、「ここと思えば、またあちら」というような演出もあったと思います。またスクリーンの後ろから映写したので、観客には「ファンタスコープ」(幻灯機)の存在が分かりませんでした。

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図  1.jpgファンタスマゴリー2.JPG
●上2枚/重ね合わせた紗を蝋に浸して透明度を得たものに投影
       普段は暗幕で隠しておき、投影時に暗幕を引く
       ガラススライドは亡霊の絵以外は黒く塗りつぶしてあるので、空中に浮かんで見える
 下/リア・スクリーン方式による投影 観客には目前に亡霊が現れたように見える


 そして特筆すべきは、幻灯機を車の付いた移動台に乗せて前進・後退させたことです。前進すればスクリーンの画像は次第に小さくなり、後退すれば次第に大きくなります。映画で言うズーミングの効果が早くも考えられていることです。

 
「ファンタスマゴリー」は、入場前の期待感を高揚させる演出も含めて、200年以上も前に、スモーク・スクリーン、マルチイメージ・プロジェクション、リア・スクリーン方式といった光と影を操る新技術を編み出したばかりでなく、現在の映画やテーマパークのアトラクションにも大きな啓示を与えるほどのアイディア溢れるステージを演出して見せたのでした。

 なお、革命の喚声やギロチンの落ちる音、音楽などについては、これほどの視覚効果を演出したロバートソンのことですから無音であったはずはありません。おそらくステージの背後に演者を配置していたのではないかという、これは私の推測です。
 また、今日の「映画」では実際にあった歴史上の事件を題材にした作品が数多くつくられていますが、ロバートソンの「ファンタスマゴリー」によるフランス革命の出し物はその嚆矢と見ることができるのではないでしょうか。



ファンタスマゴリーとファンタスマゴリア
  
「ファンタスマゴリー」はパリで6年間も人気を博していたそうですが、ご多分に漏れず、その間に亜流が発生してきました。中には「元祖ファンタスマゴリー」を名乗るふらちな輩まで現れる始末でした。
  
するとロバートソンに傾倒し、賛辞を送るマジシャンがロンドンに現れました。彼の名はポール・ド・フィリップスタール。彼は自分のショーをロバートソンに敬意を払って「ファンタスマゴリア」と呼びました。「ファンタスマゴリア」は彼によって、1800年代に入ったばかりのアメリカの主要都市で次々と上演され、大好評を博したのでした。


 
「投影」について、今回は「動かない絵をそのまま投影」していた事例をお話しました。この技法はやがて、動かない絵を動いているように見せかけて投影する技術に発展していきます。
次回はそのあたりを。



 








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009 動かないものを動かすには・・・ [影を動かす試み]

009 動かないものを動かすには・・・
     静止画を動かす-1 アジアの影絵芝居

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●ジャワ島の影絵芝居「ワヤン・クリッ」

 
前回までは「映画」の基本要素である「投影」についてお話ししてきました。
 
投影は、最初は西洋において、外の景色を中に映し込む「カメラ・オブスキュラ」に始まりました。次にそれが応用されて、今度は逆に、書いた絵を外に映し出す「マジック・ランタン」つまり幻灯機へ。さらにはその応用である「ファンタスマゴリア」と呼ばれた幻灯ショーに発展しました。ここまでは、動かない絵を投影するものでした。

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●西洋で開発された投影装置「マジック・ランタン」 1671

  
ところが、幻灯を観た人はその絵が動くのを見たいと思いました。幻灯を見せていた人は、何とかして動かして見せたいと思いました。双方のこういった願望は、いわば人間の本能のようなものではないでしょうか。
  
同様なことは東洋にもいえます。実はアジアの人たちは、西洋で「マジック・ランタン」が発明されるよりもはるか昔に、やはり「投影」という手法で動かない絵を動かしていたのでした。
 


●絵が動くというより、人が動く、タイの「ナン・ヤイ」
  
私が映画史に興味を抱き始めた1990年11月。動かない絵を動かしてみせる最も原初的なものと思われる、タイ国の影絵芝居を観る機会がありました。
  「ナン・ヤイ(大きな皮/
大影絵)」と呼ばれるその影絵には、1枚の絵に水牛1頭分のなめし皮を使っているという文字通りの超ど級。それにまず圧倒されました。

  出し物はインドの有名な長編叙事詩「ラーマ・ヤーナ」
(タイではラーマ・キエン)を素材にしたものでしたが、なめし皮にはキャラクターと背景が一つの絵として、実に見事としか言いようが無いほど精緻に切り抜かれていて、そのまま芸術品と呼べる立派なものでした。

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●左/水牛1頭分のなめし皮でつくられたもの 2本の棒を両手で持つ
  右/操作棒が1本のものは、クルリと回転させ方向を変えることができる

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●「ナン・ヤイ」の演者たち 
 スクリーンの間近かの影絵はほぼ原寸大に映り、スクリーンから離れている影絵は大きく映る


  
本来は日が沈んで涼しくなった野外で行われるのでしょうが、その日の舞台は教室より一回り大きい程度の室内でした。その中央に、天井から床上1m程のところまで白い布が下げられていて、観客席とバックヤードをほぼ二分した形です。
  白布のバックヤードは大影絵を支えて動かす演者が往来するスペースです。その後ろに、ジャワ王宮で演奏される、小太鼓、両面太鼓、銅鑼、鉦(かね)など独特のガムランの楽器が置かれ、笛や木琴、弦楽器を受け持つ楽士たちと物語を歌い上げる唱者が座ります。

  上演に先立って、まず座頭はヴィシュヌ神とシヴァ神にローソクを捧げます。それはとりもなおさず、大影絵に描かれた人物に霊魂を吹き込み、命を授けるアニミズム(アニメーションの語源)の儀式に他なりません。
  
演者は大影絵に固定された2本の棒を両手で掲げるようにして、スクリーン布の前で音楽と語りに合わせて身体を揺らしながら往来するのですが、これはずいぶん骨が折れる動作だと思います。

  背景とキャラクターが1枚に描かれている場合はそれだけで一つのシーンを構成します。また、キャラクターだけがくり抜かれた絵を使う場合は、複数の登場人物とからむ動きが演じられました。動きは左右横移動の他に、影絵が大きくなったり小さくなったりという表現もありました。他には支える棒が1本しかないキャラクターがあって、それはクルリと180度向きを替えて演じる役割を担っています。つまり、右端まで歩いた人間がクルリと向きを変え、左に向かって歩き出すというような動きです。

  いずれにしても、音楽と歌唱に合わせて大影絵を掲げて動き回る演者の足腰の動作は、キャラクターの演技そのものでした。
 


●人が絵を動かすアジアの「影絵芝居」
  
アジアにおけるお話をもう一つ。インドネシアはジャワ島の「ワヤン・クリッ」という影絵芝居をご存知でしょう。起源は10世紀ころといわれるほど古くから連綿と続く伝統芸能だそうです。

IMGP6884.JPG●「ワヤン・クリッ」の一場面

  
人形の材料は「ナン・ヤイ」と同じく水牛の皮をなめしたもの。異なるところは1枚の絵ではなく、キャラクターの頭、両うで、両足がバラバラに作られていて、関節部分を紐でつないであることです。
  両手と首には細い棒が取り付けてあって、それを上下左右に操ることによって、話している、歩く、走るなどいろいろな動きを人形に与えることができます。それだけで「ワヤン・クリッ」は「ナン・ヤイ」よりもはるかに進んだ表現力を持つ進化した影絵だということが分かります。

  けれども両方に共通なものがあります。それは、動かない絵を、人が
操ることによって生命を与えようとしたところです。それがアジアの影絵芝居の特徴だと思います。このあたりが、絵を動かすために仕掛けや機械を考えようとする西欧と異なる点で、いかにも東洋的な発想だと思います。

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●「ワヤン・クリッ」のバックヤード スクリーンの向こうが観客席
 手前はガムラン音楽を演奏する楽士と女性唱者たち

 
 夜になると、椰子の樹の間に張られた大きな白い布の前に大勢の観客が集まります。スクリーンにあたる布の後ろには、影絵人形を操る演者たちと唱者、楽士さんたちが控えている広いバックヤードが設定されているのは「ナン・ヤイ」の場合と同じです。
  また、「ワヤン・クリッ」の演目の多くもインドから伝わった「マハーバーラタ」や「ラーマ・ヤーナ」などで、現地の人たちの誰もが知っている神様や英雄の物語です。

  
ガムラン音楽が鳴り響くと、影絵の演者は自分が担当するキャラクターの台詞を唱えながら人形を操るのですが、頭や両手両足を動かすためには演者の表現力に高い力量が要求されます。彼らは全身を使って人形に生気を吹き込みます。それは演者の顔が見えないというだけで、まさに生身のライブショーといった趣です。 

IMGP6883.JPG中国の彩色影絵 材料はロバの皮

  
こういったたぐいの影絵芝居は、インド、マレーシア、中国などでも見られるということなのですが、昔の日本でこの方式の影絵芝居はあまり聞きません。他の色々な文化のように、大陸から伝わったことは十分考えられますが、どうやら日本の影絵は、ある意味で独特な方式が考えだされたようなのです。
                       
(この項、つづく)

●「ナン・ヤイ」の写真はアジア民族造形文化研究所発行のカタログより
●他は平凡社「国民百科事典」より













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010 日本映画の起源は、江戸時代? [影を動かす試み]

010 日本映画の起源は、江戸時代?
静止画を動かす―2
日本の影絵芝居-1
  
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●イメージ・日高川 逃げる安珍を追って、清姫は蛇身と化して川を押し渡る

 前回は映画の大事な要素としての「投影」」に関連して、
東南アジアに伝わる影絵芝居をみてきました。それは、動かない絵を人がそのキャラクターに成り代わって演じるライブアクションでした。では日本はどうだったのでしょうか。 


●昭和の頃、東洋のハリウッドと呼ばれた調布市で
 21世紀を目前にした2000(H12)年3月。東京都調布市で恒例になっている「調布フィルムフェスティバル」で、19世紀のはじめに日本で考えられたという影絵芝居を観る機会に恵まれました。

 
ご存知の通り、調布市には映画全盛時代、大映撮影所と日活多摩川撮影所がありました。国際的に有名な監督や男優女優が華やかに行き交い、たくさんの名作が生み出されていました。当時映画は娯楽の王者。調布は西の京都・太秦と肩を並べ、「東洋のハリウッド」と呼ばれて名声をほしいままにしていました。
 
「調布フィルムフェスティバル」はその誇りをベースに、日本映画の振興を願って毎年すばらしいプログラムを組んで開催されているのですが、その年の番組の一つに「江戸写し絵」とあるのが目に付きました。

IMGP6879.JPG●左/「江戸写し絵」のチラシ
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●左/元「大映撮影所」、現在は「角川大映スタジオ
●右/映画全盛時代に活躍した映画人をたたえる碑  いずれも調布市


 「写し絵」とは、西洋でいうマジック・ランタン(幻灯機)による投影のことではないでしょうか。映画産業を支えてきた地元が、映画の原点ともいうべき幻灯を見せてくれるというのです。
 活弁つきの無声映画を初めて見せていただいたのも「調布フィルムフェスティバル」でした。以前から映画の歴史に興味を持っていた私は、「これは必見!」とワクワクしながら観に行きました。
 そこで私が見たものは、東南アジアの影絵芝居と大きく異なる、まさしく映画の起源そのものの技巧を駆使した、大迫力の大影絵でした。


※昔、無声映画を「活動写真」と呼んでいた頃には、スクリーンの脇で映画の場面を説明をしたり、登場する何人ものスターの声を一人で演じ分ける「弁士」という職業がありました。略して「活弁」。
 


●表現のために考えられた盛りだくさんのアイディア
 会場は市民ホール。そのステージの上に「江戸写し絵」の舞台が乗せられています。横4~5m、縦2mほどでしょうか。ちょうどシネマスコープのような横長のスクリーン。その裏で演じるのは平成玉川文楽さん率いる劇団民話座のみなさんです。(大きな会場では横14m×縦5m、演技のためのバックヤードは5mほどにもなるそうです)
 
非常灯も消されて場内が完全に暗くなると、いよいよ本来は動かない絵を動かしてみせる出し物が始まりました。

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●「江戸写し絵」の様子 催しのチラシより

 
まずは「両国の花火」です。真っ暗だったスクリーンに色とりどりの明かりを灯したたくさんの小船が漕ぎ出してきて、ゆらゆらと波間に揺れています。一そうの屋形船が大きく拡大されると、舟遊びの客が浮かれて踊っています。
 ドーンという太鼓の音と共にパッと上部に赤い光が映り、とどろきと共に火花が大きく広がったと思うと、もう一つ変わって見事なしだれ柳に。それが次から次へと繰り返されたあとは、今度は遠くの方にも打ち上げられる花火。そのあとは遠くと近くで「鍵屋」「玉屋」の打ち上げ競演となります。

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●「江戸写し絵」の種板の一部 数枚の絵を組み合わせて演者が動きを作り出す

 
次は「花物」と呼ばれるものです。スクリーンに盆栽が、ひとつ、ふたつ、みっつ…。どれもつぼみのままです。そこへチョウチョが登場します。こちらのつぼみからあちらのつぼみへとヒラヒラ舞い遊ぶ様は本物さながら。するとチョウに触れられたとたん、つぼみが次々と弾けるように変化して、赤、青、黄色と大輪の花を咲かせていくのです。(江戸時代、チョウは「花から花へ」ではなかったようです)

 
二番目はスクリーン中央にもみじの植木鉢。葉はみどりです。ところが春、夏、秋を表す背景の変化とともに、緑の葉はいつの間にか黄色に変わり、秋には真っ赤に変化しているではありませんか。それはカラフルで見事な光景です。場内は大喜び。拍手喝采です。

IMGP6873.JPG●「だるまの夜話」 催しのチラシより

 
次の出し物は「だるまの夜話」。これはちょっとした小話になっています。ある裕福なお屋敷の座敷。中央に床の間が設定されていて、ダルマを描いた掛軸がかかっています。その前でお膳のご馳走を食べている主人。やがて主人が出かけて居なくなりますと、なんと掛軸の中からポ~ンとダルマが飛び出してきたかと思うと、拍子に合わせて両手両足が現れます。
 早速主人が残したご馳走を食べ、お酒まで戴いたものですからすっかり上きげん。両手両足を交互に動かして、ヨッコラサ、ヤッコラサと踊りだすのですが、隣り部屋のおかみさんが異変に気づいてやってくる気配。ダルマはあわてふためいて、もう一度ポ~ンと掛け軸に飛び込み、何事もなく納まってチョン! これには観客一同大笑いでした。


●「江戸写し絵」本領発揮の「日高川」
 
圧巻は「日高川入相花王(ひだかがわ・いりあいざくら)」です。能や歌舞伎、文楽などで親しまれている、いわゆる安珍・清姫の物語。舞台は紀の国・和歌山県です。
 夫婦になるという約束を裏切った安珍を追い、復讐の鬼と化して日高川を押し渡った清姫が、道成寺の鐘の中に潜んだ安珍を、蛇身を振り絞って紅蓮の炎で焼き殺すという女の執念を描いた名作。そのハイライトである<渡し場の段>が、激しく打ち鳴らされる三味線の音色と説教節によって演じられます。

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●左/能「道成寺」 右/文楽「日高川」 平凡社「国民百科事典」より

 スクリーン中央には斜めに日高川の太い流れ。青く澄んだ流れが揺らめいて見えます。上手(スクリーンに向かって右)の川のふもとに渡し舟と客を待つ船頭。そこへ逃げてくる安珍。仔細を話し、何がしかの銭を手渡して船に乗り込むと、漕ぎ出す船頭。
 
船頭が棹を操り、小船は揺れながら進むと、対岸の遠くに現れる道成寺。船が着くと安珍は道成寺へ向かってまっしぐら。その姿が遠ざかって、寺の奥に消えます。

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●イメージ・道成寺 息せき切って逃げ込んだ安珍は、鐘の中に潜むが・・・

 
そしていよいよ上手に清姫登場。渡ろうと思えど船頭も船も見当たらない。「可愛さ余って憎さ百倍。この恨み晴らさで置くべきか~」…説教節の名調子がひときわ高まったかと思うと変身です。きれいな女の姿だった清姫はアッという間に髪を振り乱した蛇身に早変わり。ざんぶと逆巻く流れに身を躍らせて日高川を泳ぎ渡ります。

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●イメージ・鐘楼 恨みを込めた清姫の蛇身が発するすさまじい業火に包まれて… 

 対岸に着くといつの間にか川は消え、遠くの道成寺がスクリーン中央に位置しています。
蛇身の清姫が道成寺に向かって進むと、寺はぐんぐんと大きくなり、スクリーン中央は鐘楼に変わります。
 真ん中に置かれた大きな釣鐘。その中に安珍が潜んでいることを知った清姫。急を告げる三味線の音と共に激しく身震いしたかと思うと一挙に釣鐘に巻き付いた姿に変わり、更には全身から炎を発して鐘の中の安珍を焼き殺そうと、自らも身を焦がしながら身悶えながらのその形相の恐ろしいこと……。


IMGP6872.JPG●「江戸写し絵」のチラシより

 
影絵芝居でありながら、能、歌舞伎、文楽に勝るとも劣らない大迫力の舞台に大変感動して、この日は大満足で帰途に着いたのでした。

 
「江戸写し絵」の様子を観客席側から描写しているだけでページが尽きてしまいました。「江戸写し絵」はどのようにして演じられたのか、影絵スクリーンの裏側で何が行われていたのかについては次回に譲らせて頂きます。(この項、つづく)

★15年前に観たものですから記憶違いがあるかもしれませんが、映画前史という視点からのポイントは押さえたつもりです





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011 江戸を沸かせた、元祖/日本のアニメ。 [影を動かす試み]

011 江戸を沸かせた、元祖/日本のアニメ
静止画を動かす―3 
日本の影絵芝居-2

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●江戸写し絵の様子 「風呂」と呼ぶ幻灯機を1人1台、複数台使って演じる。
 (同、ちらしより)

 前回は「江戸写し絵」の公演と聞いて、そんな技術が伝承されていたのかと馳せ参じ、一観客として、写し絵がまさしく目の前で動いて見えた様子について書きました。今回はその舞台裏について、映画前史としての視点から感じたことをまとめてみようと思います。


●幻灯機の伝来は18世紀なかば、オランダより
 そもそも「江戸写し絵」のルーツとなる「幻灯」は、日本にもあったのでしょうか。調子のいい掛け声を発しながらはさみを動かし、みるみるうちに黒い紙を切り抜いて風景や人物を作り出して見せる「切り絵」。それを影絵として見みせる手法は寄席などでも演じられていたようですが、残念ながら「マジック・ランタン」(幻灯機)のような仕組みを持つものは無かったようです。
 
それが日本に伝わったのは1769年(明和6)。この頃日本は鎖国の真っ只中。ただ一つ開けられていた長崎出島のオランダ商館あたりに、ギヤマン(粗悪なダイヤモンドやガラス製品)などといっしょに伝わったものでしょうか。

IMGP6931.JPG●西洋の初期のマジック・ランタン 17世紀半ば

 
影絵を鑑賞するという下地はありましたから、南蛮渡来の「幻灯」は早速興行師の手にするところとなり、江戸では「招魂燈(えきまんきょう)」、上方では「長崎かげ絵」「おらんだ影絵」と呼ばれて人気が出てきました。初めはろうそくの明かりで見せていたものが、やがては灯油を使い、反射鏡を使ってより明るく映るように改良が進みました。
 
この見世物を上野で見て、ハタとひざを打った男がおりました。日本橋の染物絵師・亀屋都楽。この人こそ「江戸写し絵」を編み出した「元祖・活動屋」と呼べる人です。
※日本では映画は最初、「活動写真」と呼ばれていた。


●南蛮渡りの幻灯は、日本独自のかたちに変貌
 
時は享和年間(1801~1803)。舶来の影絵幻灯を見た都楽は「この絵が芝居のように動いたらどうだろう。動かないはずの絵が動き出したら、みんなどんなに驚くことだろう」。
 そこで、何とか
コネを探し出して「マジック・ランタン」を見せてもらったのでしょう。するとそれは金属製だから重い。それに灯火の熱が伝わって熱くて触れない。ドンと据え置くしかありません。でも、絵を写す仕掛けは分かりました。絵は木枠にはめられた薄いビードロ(ガラス)に、泥絵の具のような透明度の悪い顔料(がんりょう)で描かれていました。
 
 彼
はもっと鮮やかな色彩を出すために、当時は顔料の調合も扱っていたらしい医師に相談して、絵の具を改良しました。光源となる灯油も改良しました。そしていちばんのアイディアは、軽くて熱くならない幻灯機を作ったことです。
 桐の箱にレンズの筒と明かりを仕組んだもので、これを「風呂」と呼びました。これなら胸に抱えられます。頭上に掲げられます。彼は複数の人がこの風呂を抱えて自在に動き回って演じる幻灯を考えたのでした。都楽がイメージしたのは、首から吊るした箱状の舞台で人形を操ってみせる、当時はやりの傀儡
(くぐつ)ではなかったでしょうか。

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●胸に下げたミニステージで、謡いながら人形を操る江戸の傀儡子(くぐつし)

 
一方彼は、自分でそれを演じるために、噺家(はなしか)の三笑亭可楽に弟子入りして芸を磨きました。こうして享和3年(1803)、牛込神楽町「春日井」という茶屋で初公開に及びました。「江戸写し絵」三笑亭都楽の誕生です。


●西洋でも、絵を動かす方法が考えられていた
 西洋の「マジック・ランタン」も19世紀になると、種板……絵が描かれたガラス板のことですが……そのガラスを極限まで薄くして二枚重ねにすることで、風景を夏から冬へと転換したり、種板の木枠に細い棒をつなぎ、その先に船をあしらって、棒を上下することで船が荒波にもまれる情景を見せたり、ネズミを小さく書き込んだガラス板を回転させることで、大口を開けてベッドに寝ている男の口にネズミが潜り込む様子を連続して見せたりという具合に、動きを与える仕掛けを施したものが出てきます。 
 都楽も「江戸写し絵」で仕掛けを操って絵を動かしています。もしかして西洋よりも都楽の方が早かったかも知れません。

  このように、全く接触の無い東西の国で、ほぼ同時期に同じような発想が生まれているということが、映画前史ではとても重要なことだと思うのです。こういった例は、このあともいろいろな場面で見られるようになります。
 


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●左/前後に移動できるように車をつけたマジック・ランタン
 右/複数の種板(スライド)で絵を動かす工夫を施したマジック・ランタン
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●絵を動かす仕掛けを組み込んだマジック・ランタンの種板
 上/右のレバーを上下させると船が左右に大きく揺れる
 下/右の棒を押したり引いたりすると、きこりがのこぎりを引く
 EYEWITNESS GUIDES {CINEMA}より



●動かない背景と、動く人物を別に描いた

 ところで、「風呂」を操作する都楽の写し絵が、「マジック・ランタン」と決定的に異なる点があります。まず画期的だと思うことは、四角い枠内に書いた絵をそのまま四角く写すのではないということです。
 風景も人物も輪郭以外は黒く塗りつぶしてあるため枠は映らず、真っ暗なスクリーンに映るのは樹木や社、人物の姿といった形そのものです。
 それは、上演に当たって今日のようなスクリーンの縦横比の制約を受けないことを意味します。
 

 更に彼は、場面の情景を分解して絵にすることを考えだしました。
 
情景の要素は「背景」と「登場人物」です。前回ご覧頂いた「日高川<渡し場の段>」を例にとれば、風景の要素は日高川の流れと、渡し守の小屋と船、そして道成寺。人物は渡し守と安珍と清姫の三人。
 まず渡し守…これは猪牙船(ちょきぶね)を操るさおを持ち、さおには漕ぐ動きをつける仕掛けがあります。清姫は白拍子姿と、蛇身となって泳ぐ姿が用意されています。


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●江戸写し絵「田能久」 
黒いスクリーンに別々に描いた絵を映すため、枠にとらわれずに広い画面構成が可能となった。(同、ちらしより)

 そして、登場人物一人一人について、演者がそれぞれ風呂を操作するということは、まさにお芝居と同じです。それは種板の枠に制約されないで自在に動き回ることができ、ランプの明るさと会場が許す限りの広い画面を構成できるという意味を持ちます。

 スクリーンには丈夫な和紙が使われました。その後ろ、バックヤードは、背景を映す数個の風呂と演者が往来するためのスペースが確保されています。キャラクターにつける演技は「文楽」や「人形浄瑠璃」に近く、演者の移動は「能」のすり足という感じ。風呂を胸に抱えた演者が左右に移動すれば、それはそのままキャラクターの左右移動。演者が風呂を弧を描くように動かせば、だるまが床の間の掛け軸からポーンと抜け出す演技となります。

IMGP6873.JPG●江戸写し絵の1シーン(同、ちらしより)
風呂概念図b.JPG

●さて、「日高川」の舞台裏を覗いてみると・・・
★「背景」の操作
 
遠景は風呂をスクリーンの近くに設定して小さく映します。近景はスクリーンから離して大きく映します。同様に、風呂を抱えて演者が後退すれば絵は大きくなり、前進すれば絵は小さくなります。この動きで、近づく・遠ざかる、という感じが出せます。これは何と、今日の映画で言うズーム・イン、ズーム・アウトの効果です。

★「日高川の流れ」の表現
 
スクリーン裏の比較的奥に固定された背景を受け持つ風呂が写し出す日高川の流れはスクリーン中央に大きく写り、流れの揺らめきは川の演者が、波の形を変えて描かれた横2枚の種板を往復させて作り出します。

★「渡船場から漕ぎ出す船」の場合、船頭と安珍が船に乗ったあとは2人で呼吸を合わせてその船を対岸まで横移動です。その間、川の演者は川の揺らめきを続け、船頭の演者は舟を漕ぐ仕掛けを動かしている訳です。

★「道成寺、次第に近づく」。これは道成寺を描いた風呂を乗せた台を、スクリーンから少しずつ後ずさりさせることで道成寺の絵が大きくなってきます。


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★「追ってきた清姫が川を渡る」というシーンでは、白拍子姿の絵と蛇身の清姫の絵を持ち、明かりを明滅させながらすげ替えるのですが、その仕掛けはレンズの前に付けられた濃い目の紗幕です。
 演者が紗幕をヒラヒラさせながら少しずつ降ろしていくと白拍子の姿が暗くなって行きます。紗幕をすっかり下ろして白拍子の姿が消えた瞬間に蛇身の清姫の絵に切り替えて、今度は紗幕をヒラヒラさせながら少しずつ上げていくと世にも恐ろしい蛇身に変わっているという訳です。これは映画で言うフェード・アウト、フェード・インです。


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★「釣鐘に巻きついて紅蓮の炎を吐く蛇身の清姫」では、鐘のふもとの清姫、鐘に巻き付いた清姫、蛇身から炎を巻き上げている清姫、と3枚の絵を使い、2人がかりの風呂操作となります。
 まず、「鐘のふもとの清姫」の絵を紗幕で次第に消しながら、もう一台の風呂で「鐘に巻き付いた清姫」をその絵に重ねて映し出します。次にその絵を紗幕で消しながら「蛇身から炎を巻き上げている清姫」の絵を重ねて映し出します。これで、前の絵が次第に消えると同時に次の絵が現われるという効果になります。これは映画で言うディゾルヴです。


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●左/「日高川」(江戸写し絵のちらしより)

●映画技法のフルコースだった「江戸写し絵」 
 
200年以上も前に考案された都楽の「江戸写し絵」。それは背景とキャラクターを書き分けた上、動作を最小限に分解してコマ分けしたものを素早く切り替える手法で、動きとして見せています。これは現代のアニメーションの基本作法です。

 
そればかりではなく、今日の映画技法として定着しているフェーディング(溶明、溶暗)、ディゾルヴ(溶暗と同時に溶明)、オーヴァーラップ(重ね写し)、ズーミング(拡大、縮小)、更にはキャラクターの移動に添って背景も移動するパノラミング(パン)さえも伴ったテクニックを備えて、ワイドスクリーンにカラーで上映されたものだったのです。

 
 
都楽の「江戸写し絵」は、この技術を今に復活させた平成玉川文楽さんはじめ劇団みんわ座のみなさんの努力によって、伝統芸は踏襲しながら、技術的にはスクリーンや光源などに改良が加えられて、大きな会場で明るく公開されるようになりました。
 さらに海外に招聘されて高く評価されるところとなり、今では世界の映画史家が都楽の「江戸写し絵」に注目しています。こうして知られざる日本の伝統芸能は、映画という分野で世界の脚光を浴びることになったのです。
 それにしても、もし都楽が映画誕生後も健在だったとしたら、どんなに面白いムービー・マジックを見せてくれたかと思うのです。


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●「江戸写し絵」を現代に復活させた平成玉川文楽さん(同、ちらしより)
 江戸期の「風呂」を復刻して演じています。












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